-臨16- 東日本大震災の爪痕を見る(4)
前回の続き。
(ご覧になっていない方は是非(1)~(3)もご覧ください。「旅行」カテゴリーのページから遡って見ることが出来ます。)
津波で甚大な被害を受けた、南三陸町志津川を訪問した際の記録です。
※この先には被災・復興状況の写真が出てきますので、ご覧になりたくない方は下の追記へのリンクをクリックしないことをお勧めします。
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津波で甚大な被害を受けた、南三陸町志津川を訪問した際の記録です。
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なぜわざわざ気仙沼線に乗りに行ったのか。

それは紛れもなく、これを見る為でした。
手前の国道の西側にある献花所には、今も沢山の人が訪れ祈りを捧げに来ているようで、千羽鶴や供物、メッセージカードが溢れんばかりに置かれていました。
石巻とは違って、完全に街を津波が丸呑みした志津川地区。がれきこそ片付いたものの、未だにかさ上げ工事が続いています。

防災庁舎が有名になった陰で、こちらも被災時のまま遺されている高野会館。もとは結婚式場だったそうで、被災当日は老人会の集会が行われていたそうです(ソース:これ)。ここでは会館の従業員などの的確な指示によって、避難していた老人会メンバーや近隣住民の330人が全員生還。そのような経緯からか保存に向けて現在協議が進んでいるそうです。

志津川駅跡。本当に何も残っていません。周辺では工事が着々と進んでおり、これが無くなるのも時間の問題かもしれません。

BRT志津川駅前に有るさんさん商店街。ここで昼を食べお土産を購入。平日の昼間にも拘らず観光バスや自家用車がひっきりなしに駐車場に出入りしており、ヘタな東京近郊の商店街よりも賑わっていました。尤も外が暑かったため、土産などを買ったらすぐ車に戻ってしまう人が多かったように思われます。
次回は最終回、陸前高田の訪問記と釜石までの様子を紹介します。

それは紛れもなく、これを見る為でした。
手前の国道の西側にある献花所には、今も沢山の人が訪れ祈りを捧げに来ているようで、千羽鶴や供物、メッセージカードが溢れんばかりに置かれていました。
石巻とは違って、完全に街を津波が丸呑みした志津川地区。がれきこそ片付いたものの、未だにかさ上げ工事が続いています。

防災庁舎が有名になった陰で、こちらも被災時のまま遺されている高野会館。もとは結婚式場だったそうで、被災当日は老人会の集会が行われていたそうです(ソース:これ)。ここでは会館の従業員などの的確な指示によって、避難していた老人会メンバーや近隣住民の330人が全員生還。そのような経緯からか保存に向けて現在協議が進んでいるそうです。

志津川駅跡。本当に何も残っていません。周辺では工事が着々と進んでおり、これが無くなるのも時間の問題かもしれません。

BRT志津川駅前に有るさんさん商店街。ここで昼を食べお土産を購入。平日の昼間にも拘らず観光バスや自家用車がひっきりなしに駐車場に出入りしており、ヘタな東京近郊の商店街よりも賑わっていました。尤も外が暑かったため、土産などを買ったらすぐ車に戻ってしまう人が多かったように思われます。
次回は最終回、陸前高田の訪問記と釜石までの様子を紹介します。
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